東京タワー (Tokyo Tower) とは、東京都港区芝公園四丁目にある、赤色(正確にはインターナショナルオレンジと呼ばれる)と白色を交互に配した塗装の集約電波塔です。配色の理由は、航空障害となり得る煙突や鉄塔は頂部を赤にしたこの塗装形式である事が義務の為です。
地上アナログ・デジタルテレビジョン放送(VHF・UHF)及びFM放送のアンテナとして放送電波を送出する他、東日本旅客鉄道(JR東日本)の防護無線用アンテナと東京都環境局の各種測定器を設置しています。
一般的には、東京のシンボル・観光名所として知られています。 設計上は最上部で風速100メートル、下の部分で80メートルの風に耐えられ、関東大震災の2倍の地震が起きても大丈夫ということになっています。
このタワーの正式名称は日本電波塔です。放送事業の将来性に着目した大阪の新聞王、前田久吉(後の産経新聞社、関西テレビ、ラジオ大阪社長)によって、相次いで開局する各放送局の電波塔を1本化する構想で建設された総合電波塔です。高さ332.6mはフランス・パリのエッフェル塔の324mより8.6m高く、自立式鉄塔としては2007年現在も世界最高です。前田は「建設するからには世界一高い塔でなければ意味がない。科学技術が進展した今なら必ずできる」と強く主張しました。
このタワーの建設に先立って日本電波塔株式会社が設立され、建築構造学者の内藤多仲と日建設計株式会社が共同で設計しました。およそ4,200tの鋼材と多くの鳶職人の手作業により、わずか1年3ヶ月で完成しました。完成後も特別展望台の真上にこのタワーを建設した人達の銘板が設置されています。
発信される電波は関東エリアの半径100km圏をカバーします。この塔の完成に先行して開局していたNHK総合テレビジョンと日本テレビ放送網(NTV、以下「日本テレビ」と表記)、及び東京放送(TBS。当時ラジオ東京)は、それぞれ自社の敷地(NHKは紀尾井町、日本テレビは麹町、TBSは赤坂)に170m程のl電波鉄塔を建ててテレビ放送を行っていました。そのため、当初は1958年(昭和33年)から1959年(昭和34年)にかけて新たに開局したフジテレビジョン(CX、以下「フジテレビ」と表記)と日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)及びNHK教育テレビジョンが利用していました(NHKは直後総合と教育を交換)。後にTBSも合流しました。
当初はNHKと民放6局のアンテナが1本化されるはずでしたが、調整の段階で日本テレビが「採算が合わない」「アンテナの配分が不満だ」という理由で参加しませんでした。しかし、実際はテレビ業界の覇権を競う産経新聞―フジテレビ・前田久吉と読売新聞中興の祖―日本テレビ創設者・正力松太郎との対立であったと言われています。日本テレビは麹町の自社敷地内のアンテナから電波を発信し続けたが、他局に比べカバーエリアが劣る問題が発生しました。そこで、テレビ界のパイオニアを自負する日本テレビは自社が所有する新宿の敷地に東京タワーの高さの2倍もある「正力タワー」の建設計画を発表した。しかし、アメリカが「こんなにも高いタワーを日本に建てると自国民の不安を煽る」として圧力を掛けて来ました。それを抜きにしても、建設には結局莫大な費用が掛かる事が分かり、頓挫しました。そして、正力没後の翌1970年(昭和45年)になって、麹町の本社から当タワーにメインアンテナを移しました。
最終的に全局が揃ったのは、NHKが教育テレビ送信所を移した1980年(昭和55年)です。
2011年7月24日までに地上アナログテレビ放送は終了しますが、それに絡み、現在ではエリアの確保やこのタワーの陳腐化に伴い、新東京タワー建設の構想が立てられており、具体的な動きが始まっています。